僕は中学の頃から色々なボランティア活動をやって来ました。この様々な経験で僕は色々な人と出会い、関わり、この人たちの話を聞きました。この様々な出会いと経験に影響され、僕の人生は少しずつ変わりました。僕のボランティア経験の中で、人生に一番大きく影響したのは高校3年の夏に起きたことでした。その夏、僕は2週間半グアテマラでボランティア活動をしました。そこで僕の目と心に刻まれたことを皆さんに伝えたいと思います。
活動初日、グアテマラの首都、グアテマラシティー内を車でツアーをしました。途中で高い壁に囲まれたお金持ちや政治家や外交官が住んでいるゲートを付いたコミュニティーを見ました。それから、車で10分も経たない内にグアテマラシティーのゴミ捨て場に行きました。ゴミの山の中に人や段ボールとかで作らて家を見ました。ガイドさんの話によると市民の大勢(何パーセントかは覚えてないけど、50%は超えてた気がする)がこのゴミ捨て場に住んでいたそうです。目の前にゴミの中から売れる物を探している大勢の人々のイメージか心が痛みました。
こんな惨めな生活は誰もしてはいけない、なんとか助けてあげないと、と僕は考えました。僕がそこで持っていたお金をその人たちにあげたかった。そこで皆のリアクションを話し合いました。そして僕と一緒に来たグループのメンバーのほとんどは、僕と同じ気持ちだったことが分かりました。そこでガイドしてた人がこう言いました、「そんな考えは捨ててください。この人たちを見くびらないでください。皆、一生懸命プライド持って生きているんですよ。今考えていることはこの人たちの為ではない、自分の気持ちを楽にしたいだけです。今、お金をあげても、この人たちの人生は変わらない。哀れみで動くことは、この人達のプライドや生活を否定するだけです。」
この言葉を聞いて僕は気付きました。日本やアメリカで育った僕は、これまで恵まれた環境で生きて来ました。良い環境で生きて行きている人は世界の少数だと。僕はこの環境で育ったから、ここで見ていることを許せない。でも、僕の反応は、この嫌な気持ちを今すぐ楽にしようとするだけのものでした。恵まれた環境にいる僕の立場として、貧しい 人たちを本当に助けるより、ちょっとお金をあげて、「自分は偉いな」と思うような反応した。この浅薄な気持ちが僕の惨めさを明らかにした。
旅の初日に僕は自分の弱さ所と立ち向い合うことになりました。自分の中途半端な気持ちと浅薄さに気付き、変わらなければいけないと思いました。人を手伝う、助ける、っていうことは簡単じゃないことが明らかになりました。僕の気持ちが本当に相手の人のことを考えたら、一時的に問題を楽にする安易な行動より、時間をかけて人や状況を知り、その状況を変える努力をしないといけないと気付きました。自分自身を挙げないと人の人生は変わらない。そして、僕は決心した、自分にどんな損があっても他人、特に子供に僕の人生を挙げると。彼等、そして未来の為に。
皆さんはどう思いますか?こんな経験はありましたか?日常生活の中で自分の立場唐他人を見て、こうおもったことはありますか?人を助けたい、状況を変えたいと思ったことが絶対あると思いますが、その気持ちが行動になりましたか?そうでなかったら、何に止められましたか?
旅の続きは後ほど
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