Part 1: 悲しい逆説的状況
Part 2: 悲しい逆説の根源?
追い込まれた状況から逃げられないと、人は誰かに助けを求めようとする。しかし、日本ではこれがとても難しいというのは当たり前だと思う。日本では、人は自分のことで精一杯で、他人の問題を押し付けられるのは嫌だし、誰かが助けれくれるだろうから、自分はしなくても良いと思うのではないのだろうか。助けを求めようとする人たちは冷たい目で見られて、苦しんでいるのに迷惑扱いされ、もっと傷つけられ、追い込まれる。周りの人が自分の苦しみに対してどう反応をするのか知っている人は誰にも助けを求めるず、自分の苦しみに溺れ死ぬ。
でも、皆がこうではないと僕は信じている。少ないかもしれないが、人の助けになりたいと思う人が絶対いる。自分が同じような苦しみに追い込まれた経験したから、他人の気持ちを理解できて、何かしてあげたい。ただ、どうすれば良いか分からない。
では、どうすれば良いのか?
多分、一番大事なことは自分の考えを改めることである。「自分の問題は自分で解決すればいい 」「自分のせいで起こったことを他人に押し付けるな」「面倒くさいから、関わりたくない」「迷惑なんだよ」。人は口では言わないかもしれないけど、態度ですぐに分る。この考えは何は改めなければならないのではないか。これはただ自分と他人の間に大きい壁を作るだけです。他人を受け入れず、自分も他人に受け入れない。正の孤独である。
では、どう考えたら良いのか?
人は孤独の中では生きられない。でも、自分を守る為に周りの人と自分との間に壁を作る。この壁を崩すには他人の大切さを認めないといけない。自分の人生は自分だけの物ではないことを理解しないといけない。人は空虚の中で生きてはいない。自分が選ぶ選択は周りの人に影響し、その人たちの選択も自分に影響する。今の世の中では、中東やヨーロッパの人たちの選択が日本での生活に影響する。こう考えると、他人の人生は無関係だといえないのではないか。
それでも、人は壁を作り、自分の為に生き、自分で苦しんで行く。人はお互いのために生きること、お互いの重みを分けてあうこと、お互いの悲しみや苦しみを軽くすることができるのに、孤独な道を選ぶ。これは自殺へ続く戻ることができない道ではないけど、この道の果てに待っているのは孤独と苦しみだけである。状況が悪化すると自殺への片道になる可能性も高いと思う。
これを変えたいと思わないだろうか?自分で苦しんで生きるより、皆とお互い助け合い、生きていく方を選びたくないだろうか?それにはまず自分から変わらないといけない。自分の考えを改める必要がある。自分が変わると周りの人がそれに応じて変わってくれると思う。でも、誰かが最初の一歩を踏み出さないとだれも動かない。その一歩を踏み出してみないか?
先日、匿名でコメントした者です。
返信削除過去の経験から「人の助けになりたい」と思ってるんですね。簡単そうでなかなか言えない言葉だと思います。
今回は「態度でわかる」という言葉が印象に残りました。
私は、知人がトラブルを起こして入院したとき、ある人から「全部病気のせいだから彼女とまた友達になれる?」と聞かれましたが「はい」とは言えませんでした。
「事情はわかったけれど友達に戻れるかはわからない、今もこれからも」と謝り、「でももしこんな私でもできることがあるなら言ってほしい。やれることはやるしやりたくないことは断る」と正直に言いました。
お世話になった方に申し訳ないと思いましたが。
でも相手は「やっぱりあなたに言ってよかった」と言ったんです、ビックリしました。
みんな「大変ですね」とは言うけど「自分の問題」として感じてないし考えてもいない、態度でわかる、それがとても辛い。
でも、あなたは思ったことを正直に言ってくれた、考えてくれた、それがすごくうれしい。
ショックでした。
私の失礼な対応が「救い」になるなんて、今までどんな対応をされたんだろう?
「明日は我が身」と少し想いを巡らせるくらいしかできないけれど、それくらいはこれからもしていくつもりです。
次のトピックも楽しみにしてます。
コメントありがとうございました!!
返信削除「大変ですね」と聞くとその人は関わりたくないとすぐ分かると思う。真剣な問題や悩みごとに対して、こんな答えが正直に答えるより失礼だと思う。人の悩みを真剣に考えて、返事する。相手に取っては、自分の悩みごとが他人も理解してくれる価値があると分かる。例え、返事している人が失礼だと思っていても、相手によって救いになる可能性があるんだよね。。礼儀正しい答えも大切なときがあるけど、嘘くさい返事は何も助けにならないと思う。
少しだと思うことが相手によって大きい救いとなることもあるよね!
「自分の人生は自分だけの物ではないことを理解しないといけない。」
返信削除その通りだと思います。ただ、私の場合、頭ではわかっているつもりでも行動に移しきれていない。いろいろ相談してきてくれていても、「大変だな~」で終わらせてしまっていたかもしれない。
私も含めて日本人はもっと家族のことに興味を持つ→関わりあいを持つ→愛することが必要だと思う。
「家族を愛する」なんて言葉にするとこそばゆいような感じもするけど。
家族を愛すること、守ることが出来なければ社会の他の人ともしっかりとした関係を作っていくことは出来ない。ウチの3歳と1歳の子ども達のことを見ているとそう感じました。
Sugi555さんこめんとありがとうございます!
返信削除そうですよね!身近な人、特に家族を大切にして、愛さないと、他人との関係を作ることが難しい。その上、子供は親から良い関係の作り方を経験しないと他人との関係作るのが難しい。自分の子供と関係するのが当たり前のはずなのに、それを欠けている子供がどこでもいる。。