2010年7月3日

僕の世界を変えたボランティア経験 Last Part

Part 3 (http://tcknomekara.blogspot.com/2010/07/part-3.html) の続き

 3: 本当に生きることは、どういうことか

グアテマラでの経験の中で一番印象に残ったのは人々の生き方だった。それまでの僕の生き方と比べると、この 人たちの生活は不安定で貧しい。ゴミ捨て場の生活や内乱後の混乱は平和に囲まれたアメリカや日本の生活とは比べ物にならない。それでも、僕は日本やアメリカ にないものを見つけた。それは本当に生きている人たち。

グアテマラの人たちの生活に衣食住の安定はがなかった。皆は必死に毎日を生きようと していた。この人たちと暮らした僕は最初は皆の生活に不満を感じた。「こんな生き方で良いのか」とか「この人たちは何もない」とか思った。アメリカでの恵まれ た暮らしが恋しくなった。でも、それもすぐに変わった。だって、この人たちは不満ではなかった、逆に本当に喜んで毎日生きていた。僕は日本でもアメリカでも感じたことがなかった幸せを肌で感じた。「そして考えた、「どうして何もないグアテマラでこんなに生き生きしている人がいるのに、恵まれた国にはこうやって生きる人はいないの?」

この人たちは衣食住を手に入れるので精一杯。恵まれて平和な生活を送る僕たちはこれが当たり前にあるように生きている。そして社会はそれだけでは幸せになれないと言う。最新技術がないと幸せになれない、体がこんな形だと幸せになれない、こうやって生きていか ないと幸せになれない。僕たちは社会の嘘のせいで満足できなくなった。まるで子供のように必要な物より欲するものに目を向けて生きている。



平和と技術に恵まれた国は、富や名誉や権力を手に入れたら幸せになれると約束する。そして、日本にもアメリカにもこれを手に入れた人がいる。でも、ニュースとか見 るとこの人たちは一番不満な人生をおくっているように感じる。離婚、麻薬、わいろ、汚職、手に入れたものに満足できず他人を犠牲にして幸せを手に入れようとす る。

グアテマラで社会の約束は嘘だと気付いた。だって、共に生活していた人たちは社会が幸せになるために必要な物を一つも持ってなかった のに、僕が見たことのないような幸せを手に入れていた。

この人たちは精一杯生きていた、でも、自分の為に生きてはいなかった。お互いを支え、お 互いのために、そして皆の未来を作るために生きていた。自分の状況に負けず、毎日他人の為に自分自身を向上させようとしていた。

僕はこの生き方の輝 きが眩しかった。そして自分もうこうやって生きたいと思った。グアテマラでこんな生き方があると気付き、利己的な自分と闘い始めた。

僕の 世界はこのボランティア経験で変わり始めた。皆さんもボランティアしてみません。自分の世界が変わるかも。

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