2010年7月30日

責任より理解

何か起こると責任人を探す。でも、それで次の事件が起こるのを防げるのだろうか?僕は防げないと思う。それでは、何かが起こるのを防ぐには何をすれば良いのだろうか。

例えば、学生の暴力事件を防ぐには、生徒に暴力はいけないと説教すればいいのだろうか?それは違うと思う。皆さんは骨折したら、それを無視して、痛み止めを飲む?熱がでたら、熱を下げる薬だけを飲む?悪い症状が出たら、症状だけを治療するのではなく、原因を見つけけて治療する。子供が喧嘩したら、そこで「辞めなさい」と怒鳴るだけで喧嘩を終わらせるのではなく、どうして喧嘩が始まったかを話し合う。

でも、暴力事件に対しては普通そのように原因をするのだろうか。それとも、犯人に責任を取らせて、それで終わらせるのだろうか。

僕は暴力は悪いことだと思うけど、それは病気でいうところの症状にすぎないと思う。重要なのは「誰のせい」ではなく、「どうして起こった」だと思う。皆さんはこの2つの質問は同じだと思う?それは何を求めるかという目的によって違うと思う。責任を求めていたら、全く同じ質問になるけれども、理由を理解しようとしていたら、全く違う質問になる。



1ヶ月前ぐらいにこんな事件が起こった。女子高生が家に火をつけ、親と妹を殺した。理由は「うざいから」と女子高生が言った。家族がうざいから殺してたいと思ったいう。そうだとしたら、彼女はどうしてうざいから殺して良いと思ったのだろうか?過去の経験で何があって、どうしてそう思うようになったのか。

人の行動の原因はその人の経験や人格にある。行動を本当に理解するには、その行動を生んだ経験がどうようにして人格に影響したかを理解しないといけない。これは難しい事だが、暴力事件のような出来事を防ぐには一番重要なことだと思う。

起こった事件を理解し、共通点を見つけて、そこから問題を解決しようとする。でも、これは政府だけの仕事ではない。日本に住んでいる人ひろりひとりの責任でもある。どうしてこう思うかと言うと、1人の過ちは人だけのせいではないと思うからである。もちろん自分の行動は自分で責任をとらなくてはいけない。でも、1人の行動は親、友達、学校や社会に影響されている。1人の過ちはその人が責任をとるが、その行動は社会のせいでもある。

だからこそ 、事件が起こると責任を求める前に、その状況やその人がどうしてそのように行動したかを理解する必要がある。これは人としての義務でもあるのではないだろうか?

今の日本はそうしようとしているのだろうか?皆さんはどう思う?

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