2010年8月2日

誰からの理解?

他者に責任を求める前に相手に置かれた状況や相手がどういう人物であるかという点を理解することが必要である。では、子供に関しては誰からの理解が一番必要なのだろうか? 社会や学校の先生たち、友達や親戚、それとも家族や親の理解だろうか?皆さんは子供の頃、だれから一番理解されたいと感じていただろうか?

ほとんどの子供は親からの理解を一番欲しがっていると思う。自分を生んでくれて、育ててくれる人が一番大切だから、その人たちに理解されたいのではないのだろうか。そして親は自分の子を一番良く理解できる立場に立っていると思う。でも実際に、大半の親は本当には自分の子供を理解していないと思う。

僕がこのように考えに至ったのには3つの理由がある。そしてそれらは、アメリカと日本、どちらの国でも観察されたことだ。



1.自分が果たせなかった夢や期待を子供に押し付ける親。
親自身が子供の頃果たせなかった夢や期待を自分の子供の人生で叶えようとする親はかなりいると思われる。これはスポーツで一番見られると思う。こういう親は自分がスポーツをやっている時代が輝いていたので、そのような日々をもう一度子供のスポーツをやる中で過ごそうとする。子供に自分と同じ経験をして欲しいと望むことが悪いとは思わない。でも、それが誰の為かを考えるべきだと思う。よく見かけるのが、子供自身は、自分がしているスポーツがあんまり好きではないのに、お父さんがかまってくれるのはスポーツしている時だけだからその種目を続けるというような状況。お父さんの方は子供にスポーツから学べることを子供に経験して欲しいと考えていても、子供がそれを学んでいるとは限らない。子供はスポーツしているときだけお父さんと一緒にいられることと、親にとって子供自身よりスポーツの方が大事だということを悟る。 親は子供の為を思っているのだろうが、自分や自分の子を理解していないから、こんなことが起きるのだと思う。

アメリカで次のようなことも起こる。子供の試合中に審判の判断に納得しない親は大声で審判に文句を言う。そうすると相手のチームの親は文句を言っている親に静かにしろと言い返す。それがどんどんエスカレートして、試合中に親が殴り合いになる。そのせいで試合は中止される。多分こんな殴り合いは日本では起こらないと思うが、勝つことだけに集中する親がいると思う。

こういう親こそ本当にスポーツは誰のために子供がしているか考えなくてはいけないだと思う。親のスポーツに対する熱心は悪いとは言わない、でも子供は、親の夢や期待を背負う道具ではない。親が自分自身の夢や期待を子供に押し付けると、子供はどんな影響を受け、子供自身が持つ夢や期待はどうなるのだろう?

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