何か起こると責任人を探す。でも、それで次の事件が起こるのを防げるのだろうか?僕は防げないと思う。それでは、何かが起こるのを防ぐには何をすれば良いのだろうか。
例えば、学生の暴力事件を防ぐには、生徒に暴力はいけないと説教すればいいのだろうか?それは違うと思う。皆さんは骨折したら、それを無視して、痛み止めを飲む?熱がでたら、熱を下げる薬だけを飲む?悪い症状が出たら、症状だけを治療するのではなく、原因を見つけけて治療する。子供が喧嘩したら、そこで「辞めなさい」と怒鳴るだけで喧嘩を終わらせるのではなく、どうして喧嘩が始まったかを話し合う。
でも、暴力事件に対しては普通そのように原因をするのだろうか。それとも、犯人に責任を取らせて、それで終わらせるのだろうか。
僕は暴力は悪いことだと思うけど、それは病気でいうところの症状にすぎないと思う。重要なのは「誰のせい」ではなく、「どうして起こった」だと思う。皆さんはこの2つの質問は同じだと思う?それは何を求めるかという目的によって違うと思う。責任を求めていたら、全く同じ質問になるけれども、理由を理解しようとしていたら、全く違う質問になる。
2010年7月26日
誰のせい?
日本で学生が起こす暴力事件は毎年増える一方である。もし、皆さんの近くの学校で暴力事件が起きたら、最初のに何と思うだろうか?「犯人の子の親は何やっている」か「学校は何やっている」というように思うのではないだろうか。 誰のせい、誰が責任を取る、こんな考えが普通だと思う。
では、皆さんはこの暴力事件の傾向は誰のせいだと思う?多分、親のせいだと思う人は多いだろう。僕は次のようなことを良く聞きます。近頃の親は子供を甘やかし過ぎて、しつけをちゃんとしていないからこうなる。親は子供を育てる責任がある。子供はまだ未熟だから、大きい過ちは親の責任。
でも、こう考えていいのだろうか?
では、皆さんはこの暴力事件の傾向は誰のせいだと思う?多分、親のせいだと思う人は多いだろう。僕は次のようなことを良く聞きます。近頃の親は子供を甘やかし過ぎて、しつけをちゃんとしていないからこうなる。親は子供を育てる責任がある。子供はまだ未熟だから、大きい過ちは親の責任。
でも、こう考えていいのだろうか?
2010年7月22日
学校は安全?
逆に皆さんは日本の学校の安全性に対してどんなイメージをもっている? 僕は日本の治安はいいし、日本では銃もないから、学校もそうじゃないのかと思っていた。でも、来日してからニュースで聞いた事件や学校で経験から、実際はどうだろうと思い始めた。
この疑問を解決するためにアメリカと日本の学校で起こる暴力事件に関して調べてみた。その結果を皆さんに伝えたいと思う。
2010年7月17日
悲しい逆説に対する考え
Part 1: 悲しい逆説的状況
Part 2: 悲しい逆説の根源?
追い込まれた状況から逃げられないと、人は誰かに助けを求めようとする。しかし、日本ではこれがとても難しいというのは当たり前だと思う。日本では、人は自分のことで精一杯で、他人の問題を押し付けられるのは嫌だし、誰かが助けれくれるだろうから、自分はしなくても良いと思うのではないのだろうか。助けを求めようとする人たちは冷たい目で見られて、苦しんでいるのに迷惑扱いされ、もっと傷つけられ、追い込まれる。周りの人が自分の苦しみに対してどう反応をするのか知っている人は誰にも助けを求めるず、自分の苦しみに溺れ死ぬ。
でも、皆がこうではないと僕は信じている。少ないかもしれないが、人の助けになりたいと思う人が絶対いる。自分が同じような苦しみに追い込まれた経験したから、他人の気持ちを理解できて、何かしてあげたい。ただ、どうすれば良いか分からない。
では、どうすれば良いのか?
Part 2: 悲しい逆説の根源?
追い込まれた状況から逃げられないと、人は誰かに助けを求めようとする。しかし、日本ではこれがとても難しいというのは当たり前だと思う。日本では、人は自分のことで精一杯で、他人の問題を押し付けられるのは嫌だし、誰かが助けれくれるだろうから、自分はしなくても良いと思うのではないのだろうか。助けを求めようとする人たちは冷たい目で見られて、苦しんでいるのに迷惑扱いされ、もっと傷つけられ、追い込まれる。周りの人が自分の苦しみに対してどう反応をするのか知っている人は誰にも助けを求めるず、自分の苦しみに溺れ死ぬ。
でも、皆がこうではないと僕は信じている。少ないかもしれないが、人の助けになりたいと思う人が絶対いる。自分が同じような苦しみに追い込まれた経験したから、他人の気持ちを理解できて、何かしてあげたい。ただ、どうすれば良いか分からない。
では、どうすれば良いのか?
2010年7月13日
悲しい逆説の根源?
バブル経済の崩壊の影響で日本の自殺率の急増は社会にとって重大な問題となっている。この問題を解決するには原因を明らかしないといけないが、自殺者が意志を残さない限り、理解するのは難しい。だから、具体的な原因を見るより、その奥深くに潜んでいる状況を探ってみたいと思う。でも、これは単に僕の意見であり、これを読んでいる皆さんとの会話の始まりだと思っている。
日本の歴史には「切腹」という風習があった。この概念、特に、「死で家族の名誉を取り戻す」や「自分の命で詫びる」などはまだ日本で生きているではないだろうか。でも、日本の自殺率への影響は小さいと思う。この考えを除くと、自殺問題は日本やアメリカ、そしてその他の諸国、と同じ状況で自殺問題が起きていると思わざるを得ない。
日本の歴史には「切腹」という風習があった。この概念、特に、「死で家族の名誉を取り戻す」や「自分の命で詫びる」などはまだ日本で生きているではないだろうか。でも、日本の自殺率への影響は小さいと思う。この考えを除くと、自殺問題は日本やアメリカ、そしてその他の諸国、と同じ状況で自殺問題が起きていると思わざるを得ない。
2010年7月9日
悲しい逆説的現状
恵まれた国の中でアメリカが一番恵まれていると言う人は多いと思う。力や名誉や富で豊かな国で、個人主義のおかげで人は自由。人は自分の為に生きて、自分の幸せを掴むのが最優先。世界から見ればはアメリカでの生活は何にも抑えられず、自分が独りで生きていけるイメージがあるのだろうか?
一方、日本は平和な国で人々が自己を押さえ、集団や社会の為に生きているイメージが強いだろう。人々がお互いを助けあうからこそ平和な日々に恵まれている。
これを考えるとアメリカの方が自殺問題が大きいことが当然のように思える。でも、現実を見るとそうではないと気付く。それだけではない、日本の自殺率はアメリカの2倍。そして世界の国の中で4位、G8の中で1位だと分かる。
一方、日本は平和な国で人々が自己を押さえ、集団や社会の為に生きているイメージが強いだろう。人々がお互いを助けあうからこそ平和な日々に恵まれている。
これを考えるとアメリカの方が自殺問題が大きいことが当然のように思える。でも、現実を見るとそうではないと気付く。それだけではない、日本の自殺率はアメリカの2倍。そして世界の国の中で4位、G8の中で1位だと分かる。
2010年7月3日
僕の世界を変えたボランティア経験 Last Part
Part 3 (http://tcknomekara.blogspot.com/2010/07/part-3.html) の続き
3: 本当に生きることは、どういうことか
グアテマラでの経験の中で一番印象に残ったのは人々の生き方だった。それまでの僕の生き方と比べると、この 人たちの生活は不安定で貧しい。ゴミ捨て場の生活や内乱後の混乱は平和に囲まれたアメリカや日本の生活とは比べ物にならない。それでも、僕は日本やアメリカ にないものを見つけた。それは本当に生きている人たち。
グアテマラの人たちの生活に衣食住の安定はがなかった。皆は必死に毎日を生きようと していた。この人たちと暮らした僕は最初は皆の生活に不満を感じた。「こんな生き方で良いのか」とか「この人たちは何もない」とか思った。アメリカでの恵まれ た暮らしが恋しくなった。でも、それもすぐに変わった。だって、この人たちは不満ではなかった、逆に本当に喜んで毎日生きていた。僕は日本でもアメリカでも感じたことがなかった幸せを肌で感じた。「そして考えた、「どうして何もないグアテマラでこんなに生き生きしている人がいるのに、恵まれた国にはこうやって生きる人はいないの?」
この人たちは衣食住を手に入れるので精一杯。恵まれて平和な生活を送る僕たちはこれが当たり前にあるように生きている。そして社会はそれだけでは幸せになれないと言う。最新技術がないと幸せになれない、体がこんな形だと幸せになれない、こうやって生きていか ないと幸せになれない。僕たちは社会の嘘のせいで満足できなくなった。まるで子供のように必要な物より欲するものに目を向けて生きている。
3: 本当に生きることは、どういうことか
グアテマラでの経験の中で一番印象に残ったのは人々の生き方だった。それまでの僕の生き方と比べると、この 人たちの生活は不安定で貧しい。ゴミ捨て場の生活や内乱後の混乱は平和に囲まれたアメリカや日本の生活とは比べ物にならない。それでも、僕は日本やアメリカ にないものを見つけた。それは本当に生きている人たち。
グアテマラの人たちの生活に衣食住の安定はがなかった。皆は必死に毎日を生きようと していた。この人たちと暮らした僕は最初は皆の生活に不満を感じた。「こんな生き方で良いのか」とか「この人たちは何もない」とか思った。アメリカでの恵まれ た暮らしが恋しくなった。でも、それもすぐに変わった。だって、この人たちは不満ではなかった、逆に本当に喜んで毎日生きていた。僕は日本でもアメリカでも感じたことがなかった幸せを肌で感じた。「そして考えた、「どうして何もないグアテマラでこんなに生き生きしている人がいるのに、恵まれた国にはこうやって生きる人はいないの?」
この人たちは衣食住を手に入れるので精一杯。恵まれて平和な生活を送る僕たちはこれが当たり前にあるように生きている。そして社会はそれだけでは幸せになれないと言う。最新技術がないと幸せになれない、体がこんな形だと幸せになれない、こうやって生きていか ないと幸せになれない。僕たちは社会の嘘のせいで満足できなくなった。まるで子供のように必要な物より欲するものに目を向けて生きている。
2010年7月1日
僕の世界を変えたボランティア経験 Part 3
Part 2(http://tcknomekara.blogspot.com/2010/06/part-2_28.html)の続き
2:どんな障害があっても人は分かり合えると分かった。
2週間半の間、僕たちはグアテマラの人々と共に暮らし、一緒に汗をかきながら働いた。そして、3日間、一人でグアテマラの家庭ホームステイをした。どこでも、グアテマラの人たちは言葉が通じない僕を受け入れてくれた。この最初の 一歩で分かち合える道が造られた。それを感じた僕は、どんな手段を使っても踏み出そうとした。時間がかかったけど、伝わった。そして僕は気付いた。
人と分かり合えるために一番大事なのは人をありのままに受け入れることだ。これは当たり前だと思うけど、人を無条件 で受け入れるのはとても難しいことだ。グアテマラのの人々は外国人の僕たちを無条件で受け入れてくれた。家を他人に開けて、ともに生活するのを許してくれ た。
2:どんな障害があっても人は分かり合えると分かった。
2週間半の間、僕たちはグアテマラの人々と共に暮らし、一緒に汗をかきながら働いた。そして、3日間、一人でグアテマラの家庭ホームステイをした。どこでも、グアテマラの人たちは言葉が通じない僕を受け入れてくれた。この最初の 一歩で分かち合える道が造られた。それを感じた僕は、どんな手段を使っても踏み出そうとした。時間がかかったけど、伝わった。そして僕は気付いた。
人と分かり合えるために一番大事なのは人をありのままに受け入れることだ。これは当たり前だと思うけど、人を無条件 で受け入れるのはとても難しいことだ。グアテマラのの人々は外国人の僕たちを無条件で受け入れてくれた。家を他人に開けて、ともに生活するのを許してくれ た。
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