2010年9月1日

いじめはどうして起こる?

sticks and stones
Image courtesy of Hekate-moon
日本とアメリカのいじめ問題は簡単に解決できる問題だとは思わない。どうしてかというといじめが社会に深く染み込んでいるからである。力がある者が人生に勝っている傾向がある。そこでどうして子供の間にいじめが起こるかを考えるべきだと思う。いじめの原因を理解すれば、いじめが起こった時、どうすれば良いかをもっと理解できるのではないのだろうか。

皆さんはいじめがどうして起こると思いますか?

僕は最近まで次のように考えていた。いじめっ子は自尊心が低くて、周りの子をいじめることでと自分の気持ちが楽になる。自分の弱さが嫌いだから、もっと弱い子をいじめ、自分に力あると思うるためにいじめをする。それか、自分がいじめられたから、自分を守るために他の子をいじめる。つまり、いじめっ子は自分の中の足りない部分を埋めるためにいじめをすると思っていた。でも、最近の調査でそうではないと分かった。



まず、最初に考えなくてはいけないことは、いじめるという行為は生まれ付きではないことである。いじめは、子供が親や友達、またはメディアなどを真似して身に付ける行動である。ある調査によると、いじめっ子の40%ぐらいは家か学校でいじめられた経験がある。こう考えると、いじめの責任は親と社会にあるのではないのだろうか。親や社会が奨励する行動はいじめにも繋がっていないのだろうか。

次に考えることはいじめっ子の特徴。いじめっ子は強い自尊心をもっている。自分の足りない部分を埋めるより、力で他の子をコントロールしようとする。いじめっ子は権利意識が高く、同情心が薄くて、衝動を制御できていない。よって、社会的な能力の成長が遅れている。つまり、いじめられている子の立場に立つのが難しく、やりたいことをやって、何かが起こればすぐ手が出る子供たちである。

だが、いじめっ子たちをひとくくりに見てはいけないと思う。どうしてかと言うと、僕はこの特徴を持っている男の子を知っている。彼は周りにはいじめっ子だと思われているが、彼はADHDと言う行動障害を持っていて、すぐ手が出る。だが、その後に素直に謝って、態度が「またやっちまった」と言っているような雰囲気になる。それに比べて、もう1人の男の子は自身満々で、他の子が嫌なことをしてきたらすぐ泣く。でも、彼は他の子に同じことをすると笑う。僕は彼がやられると泣くのにどうして他の子にするのと聞いたら、彼は「別にいいじゃん」と答えた。

どちらがいじめっ子だと思いますか? でも、それより重大な質問は「彼らの行動は何に影響されたのか」ではないのだろうか。皆さんはどう思いますか?

8 件のコメント:

  1. 子供は大人のやることを見ています。
    大人が物事をごまかし、人を見下して、無関心を装う姿を見て育てば、そんな子が増えるのは当然だと思います。

    よく、子供が自殺した直後の学校コメントで「いじめはなかった」というのがありますが、現代でいじめが無関係の確率は低く、この言葉に「ごまかし」を感じる子供も少なくないはず。教育者はその失望感が子供をゆがませると思わないのでしょうか?
    よく「謝ればいいんでしょう」と言う大人がいますが、謝れば相手の傷がリセットできると思っているのか?
    本気だったらこんなこと言えないと思います。それを子供は見ていて、いつしかそれが普通になると「別にいいじゃん」の子のように鈍感になっていくのでは?と思います。

    知人の子がいじめにあったとき、相手の親は謝罪するでもなく「この子を好きにしてください」と言ったそうです。子育ての疲れから子供を放置しているようで、彼は寂しさからいじめたんだと想像できました。でも、やはりそんな環境で育ったからか、金品をとり悪質なメールを送り続けたことへの反省はなかったそうです。

    私は子育ての経験がないのでよくわかりませんが、おおらかに子供を育てるなんてもうできないのでしょうか?

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  2. 基本的にはあなたの「最近までの理解」で正しいんじゃないでしょうか。

    いじめは加害者と被害者が力関係の階層構造の中で入れ替わる時があると思います。弱者が強者に対する有効な対処方法を見つけた場合、その関係が逆転することもあります。その対処方法が適切であればそこでいじめは消滅するわけですが、被害者であることを広く社会(たとえクラスや仲間内などの小さな社会であれ)に知らしめることで加害者との立場を逆転することにしかならなければ根源的な問題は温存されたまま。位相が変わっただけになります。

    なお、自尊心や自己評価といったテーマはアルフレート・アドラーの心理学で扱われていますが教育分野での応用例も見られます。参考まで。

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  3. あ、肝心な事を書き忘れ。

    「彼らの行動は何に影響されたのか」

    自尊心を過剰に肥大させ他者を自尊心を満たすための対象としてしか扱えなくなった人々の背景には、まったく逆の生育環境があったのではないかと思います。彼らの自尊心は過去のいずれかの時点で大いに傷つき、それらを満たす対象を渇望しているのです。
    自尊心をもっとも大きく傷つけ得るのはまずは親ですが、社会に用意された「幸福」が細く長い綱渡りでしか得られないかのように認識されるようになってしまい、親も子もその綱渡りの中で傷ついているのです。そのドラマの中での主役は冷徹な力の関係性だけです。加害者も被害者もそのドラマの中から生み出されると、私は考えています。

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  4. 匿名さんコメントありがとうございます!子供は大人を真似して育ちまうね。知人も知人の子供さんも大変だったでしょうね。他の人に危害を加えているのに、親がほっていてと言うのは無責任だと思います。その子のことを考えると悲しくなりますよ。親に放置されるのは決して起こっていいことではないんですよね。

    「謝ればいい」っていう考えも無責任ではないのでしょうか。自分に迷惑が掛からないように謝るだけで、本当は責任を持たされないようにしているだけとしか考えられません。

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  5. gmaxさん、コメントありがとうございます。 そうれですね、いじめられていた子が状況を逆転し、急にいじめっ子になることがありますよね。そこでいじめが終われば良いのに、子供達の中では復習意識が強い子も沢山いると思います。「やられたらやり返す」っていう考え方もどの国でも良くある考え方だと思います。

    社会に用意された「幸福」って本当は幸福ではないと思います。gmaxさんの「長い綱渡り」のイメージ、特に日本では、本当なことだと思います。一つの道しかなくて、それから外れたら社会の『幸福」は掴めない。綱渡りって、ずっと前と次の一歩に集中しないと出来ないと思います。人生をそう生きると周りに起きている小さい幸せを見逃しますよね。でも、前の一歩しみていない人は綱渡りをやっていることさえ気付かないかもしれない。社会が書いたドラマから自分の人生を解放しないと。。。

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  6. >社会が書いたドラマから自分の人生を解放しないと。

    これは以前ホームレス問題で触れられていたことにも関係しますね。一度社会からドロップしたらなかなか戻れない。リスタートできない、そういう有り様から自分たちを解放しないといけない。

    そのためには身近な貧困や人権の問題に自ら関わって、その越え難い敷居やトラップをなくすようにすべきでしょう。過剰な自己責任論は実は現実逃避。いつか自分が陥るかも知れない罠に怯え、他者を踏み台にすることしか考えなくなる不毛な思考です。自分や身近な人たちの幸福を本当に確保したいのなら、そうした不毛な思考から抜け出して行動に移すのが最善の処方なのでしょうね。

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  7. >社会が書いたドラマから自分の人生を解放
    >長い綱渡り

    納得です。
    いじめ・貧困、事件・事故などのニュースに触れるたび、いつも「明日は我が身」と思います。社会や周囲ではなく、自分なりの尺度を持って物事に向き合える人になりたいです。ときに「KY」と言われても。

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  8. 匿名さん、

    コメントありがとうございます!!今の日本には「KY」と呼ばれる人がもっと必要ではないのだろうか。今の日本の空気を読んでいて、今まで通りやって行くのだったら何も変わらない。でも、日本は変わらないの前に進まない。

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