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僕は何も変わらないと思う。なぜかと言うと問題はゆとり教育ではないと思うからである。世界1の教育を誇るフィンランドの教育制度は日本のゆとり教育に近いからである。フィンランドも週5日制度で、授業時数は日本とほぼ同じ。そしてゆとり教育で始まった「総合的な学習」時間は日本より多い。日本はフィンランドの教育制度を真似しようとしていたけど、何かの理由で同じ成果をだせない。
皆さんはこれが何が原因だと思いますか?
理由は色々あると思うが、先生達自身が受けた教育が1つではないのだろうか。現在の先生達の大半はゆとり教育の実地前に学生だったので、自分でも経験した事のない教育制度や大学で習っていないことをどうやって生徒達に教えられるのか。これは教育制度を変えた政府の責思われる。政府自身がゆとり制度に関する研修や教育が足りなかったと認めている。これは先生のせいではなく、政府が自分の責任を果たさなかったのが原因だと思う。
だが、それよりもっと大きい理由は大学の受験である。ゆとり教育で知識より経験が重視され、週5日制度と授業時数の削減が実施されても、大学の受験は変わらなかった。進学や就職の目的としている日本の教育制度と子供にとってはこれは致命的ではなかったのだろうか。経験重視の教育を受けながら、知識重視の試験の為に勉強する。これだと、日本の学校は目的を果たせない。だからこそ、塾とか家庭教師の需要が増大したのではないのだろうか。学校はゆとり教育の目標と大学受験の現実に挟まれ、両方をしようとしていると思う。そして日本の教育が中途半端になったのではないのだろうか。その上、ゆとり教育が作ろうとした「ゆとりの時間」は塾と部活に乗っ取られ、子供として生きる時間が減少された。
ゆとり教育の見直しは良いことだと思うが過去の教育に戻るのはどうだろうか。皆さんはどう思いますか?ゆとり教育の利点と欠点は何だと思いますか?教育をどう変えればいいと思いますか?是非考えを教えてください!
教師の数が少ないことも、ゆとり教育が失敗した理由の一つだと思いますが、いかがですか?
返信削除一つの教室に生徒が40人もいて、総合的な学習がうまく行くはずがないと思います。
先生の数が、たとえば2倍に増えてたら、もっと状況は変わっていたような気がします。
僕はそれに賛成です。でも、先生達の給料がどんどん下がっています。 先生を倍に増やしても、その先生達の資質に問題が出てくるのはないのでしょうか。
返信削除ちょっと調べてみました。OECDの調査によると2007年での1クラスに生徒何人の平均
小学 中学
日本 27(OECDで数3位) 33(2位)
アメリカ 23 24
フィンランド 19 20
1番多い Chile 32 Korea 36
1番小さい Russian Federation 16 RF 18
http://economix.blogs.nytimes.com/2009/09/11/class-size-around-the-world/
私の考えでは日本の学校に選択の余地がないことじゃないかと思っています。日本の学校は短距離競走の連続です。ゴールに着いたと思ったらまた先にゴールが用意され、常に全力疾走を要求され、ゴールにたどり着けなかった子供はその競争から脱落することもできずに、とぼとぼとついていくしかない。常に全力で走ることを要求される子どもは学校を出るころには精も魂も尽き果てているというわけです。
返信削除日本の教育に多種多様な学校がないため、金太郎飴のような日本人が生まれているような気がします。
教師の資質、確かに重要だと思います。ひとクラスに何人いるかということよりも如何に教師が熱意を持って、クラス全体に目を配り、生徒に気持ちを伝えられるかということが重要だと思います。団塊の世代はひとクラス60人(!!)なんてザラだったそうですから。
返信削除私の友人は私と同じ会社にいて、一念発起して小学校の教師になったそうなんですが、去年2年生の担任をしていて、
○休み時間に子供達と遊ぶ
○教師同士の会議の時間は貴重なのでしっかりとした目的を持って成果を出すべきと考える
といった、当たり前のことをやろうとすると周囲のベテラン教師からは浮いてしまうそうです。つまり、
●私の友人のクラスだけ休み時間に先生が一緒に遊ぶと、自分も遊ばなくてはならなくなるから困る
●会議は成果というよりは茶飲み話のついでに情報共有
という教師が多いとのこと。こんな体たらくなんですね。
ところで、英語で教師は「teacher」だと思うんですが、「先生」に該当する言葉はあるんですか?
コメントありがとうございました!
返信削除ThreeLittleKittensさんの全速疾走のイメージが良く分かります。子供達は小さし時からずっと走っているんですね。そして用意されたゴールはどんどん遠くなり、たどりづいても待っている報酬は思ってより悪いことに気付く。ただ走るだけに集中しろと言われて、自分がどうして走っているか、本当にこの方向に走っても良いのかを考える余裕がないと思います。
Sugi555さん、教師の資質が本当に重要ですね。友達がやっていることがとても良いのに、他の教師が自分の立場を悪くするから迷惑と言うけど、誰の為に教師やっているのと聞きたいですよ。教育に時間の無駄があると思います。先生達も組織の仕事で生徒と関わる、教える時間が盗まれる。教育は子供のためだけど、先生たちは子供に集中できないのがちょっと皮肉だと思います。
教師も先生も英語では「teacher」と呼びます
フィンランドの教育について少し調べていました。
返信削除統計では出てこないところが幾つかありますね。
例えば学級崩壊はフィンランドでも存在すること、大学に進学した学生たちは可処分所得が少ない勤労者でもあること…などなど。ショックだったのは女性の大学生の多くが経済的理由から売春に関係していたとする報道があったことですがこれは余談。
これらの情報は「点」(狭い領域)で語られることであったり、誇張も入っているかも知れません。ただ、いずれにせよ光と闇がどのような制度においても存在するわけで、そういうリアリティに即した制度研究はなかなか実制度に反映していない気がします。
北欧型福祉国家では高税を原資とし、地方行政による積極的な分配がある一方で個人の可処分所得は少なく、元気な若者や意欲ある起業家が不満を募らせてしまい、国外に出てしまったりするケースが散見されます(たとえばスゥエーデン発祥の国際的企業であるIKEAは現在オランダが本拠になっています)。格差が話題となっている日本では、平等さが求められることも多い背景から好ましく捉えられがちですが、モチベーションという点では問題もあります。
教育制度においても同様で、勉学に専念するだけならば充分かもしれませんが若者たちの拡大指向を支えるだけの経済的余裕は奪われているのが実態です。幼いうちにフィンランドメソッド(マインドマップやディベートは子供向けの教育から教材として使用される)を用いてリアリティと正面から向き合う子どもたちは、社会の問題も早期に感じ取り、ある者は国から脱出するでしょう。育つ子どもたちが優秀であればあるほど、国家の投資は回収が難しくなっていくというジレンマも一部ではありそうです。
日本におけるゆとり教育がこうした北欧の教育システムに影響をうけたものであったことは間違いないと思っています(意外なことに近年の日本の制度はかなり北欧の福祉国家の政策を意識したものが多いことを感じています)。しかしながら、ご指摘のとおり教師やカリキュラム骨子を考える人間がそれまでの教育でフィンランド式のような教育を受けた経験がなかったため形骸化したこと、さらには教育が就職をひとつのゴールとした予備校的な長距離レースになっている実態をあわせて改善しなかったことから、正規教育外の事業者による教育に子どもたちの創造的時間が吸い取られてしまったこと〜またそれが所得の差による格差を広げてしまったこと〜もあって、結局成果はなんら上がらなかったことでしょう。
教師の体たらくを責めるのもごもっともですし、北欧の進んだ教育を理想として掲げるのも良いと思います。しかし、現実はどうか、なぜそうなったのか、身近な教師への批判や既存制度に対する狭い領域での非難だけではなく広範な視野で考えていくことも必要だと私には思えます。
Gmaxさんいつもコメントありがとうございます!
返信削除色々考えさせていただきました。フィンランドは統計で世界一だとしても、問題もありますよね。その問題は国に取って改善すべきものでしょう。
日本の教育はどうでしょう?教育制度を見直して、改善しているけど、その方向は進歩に繋ぐか、逆になるかが僕の一番大きい疑問です。基本的な考えややりかたが変わらないといけないと思うのですが、それが変わらないと思います。ただ教育のやり方を変えることで本当に良くなるとは思いません。根本的に、教育は何かから考えなおさないといけないだと思います。